心理学&精神医学(専門研究) の記事一覧
- 2012/03/20 自体愛→自己愛→対象愛への進化1 (自体愛 編)
- 2012/03/19 エス(動物的本能)の中にあるもの
- 2012/03/18 「自我」と「自己」の違い アイデンティティとパーソナリティ
- 2012/03/17 「動物の本能」と「理性」の綱引きでバランスが取れないと精神病になる
- 2012/03/17 これから坦々と毎日書いていきます。
自体愛→自己愛→対象愛への進化1 (自体愛 編)

心理学では、自体愛→自己愛→対象愛へと進化していくプロセスで考えます。

まず「自体愛」とは、フロイト心理学で語られる、口唇期、肛門期、男根期、潜伏期、性器期の5つの時期を通しての自分の体を愛することです。
あくまで「概念的な話」なので簡易的にまとめます。
エス(動物的本能)からはリビドー(生の欲求)が発せられます。動物的本能は食欲・性欲・睡眠欲など。
これらは全て「満たされると気持ちいいもの」です。
その根源をフロイトは性欲段階(リビドー発達段階)と言って、5つの時期で分けました。
年齢を通して発達し、どこかでうまくいかないと「固着」と言って、大人になっても残ります。
(※固着はやりすぎても、全くやらなさすぎても起こります。→ほどほどが一番いいということです)
【口唇期・肛門期(0~3歳:個人差あり)】
口唇期=母親のおっぱいを吸って唇(くちびる)を満たす時期
・前期
母親と一体の時期。まだエス(動物的本能)しかない。
→ここで母親が授乳しなかったり少なかったりすると子どもは将来、無気力さが出る。また、指を吸う、爪を噛む、タバコ、ガム、アメ、お酒などで常に口を満たしていないと落ち着かなくなる。
・後期
母親の乳首を噛みだす。噛むという攻撃的なことも嫌われないか確かめる。口唇サディズム(口唇加虐性)と言う。
→この時期に母親が子どもを嫌うと、将来、攻撃的な自分は自分と認められなくなるので、内向的に自分を攻撃するか外交的に相手を攻撃して、大人になっても噛んでも嫌われない乳首を探す。
【肛門期(0~3歳:個人差あり)】
肛門期=排便をして快感を満たす時期
排便をして評価されることで自分を満たす時期。
→この時期に排便が良く評価されない、あるいは排便を察してもらえない、あるいはオムツやトイレを片付けてもらえないと、将来、とても抑圧的になる。何でも抑圧して我慢するのでコミュニケーションに支障が出たり、無口であったり、行動力や意欲が無くなる。また「綺麗にする」ということに無頓着で、不清潔・不衛生・不規則で汚い生活をするようになる。
【男根期(4~6歳)】
男の子は自分に性器があると気付き、女の子は自分に性器がないと気付く時期。
ここで母親の一体化から離れる。男の子は父親を殺して母親と結婚したがり、女の子は母親を殺して父親と結婚したがる時期(エディプスコンプレックス)。実際に殺すのは無理なので、男の子は父親と同一化、女の子は母親と同一化して願望を満たす。ここで「してはいけないことがある」と「超自我」が芽生える。
→この時期に自分の性別への否定を受けたり、強い去勢不安(男根を切り落とすという脅し)を受けたり、同じ性別の父母が厳格すぎたり、同一化に失敗するとそれが基盤となって性格形成される。同性愛や、暴力する親の元で育った子は暴力するなど、親の姿をそのまま鏡のように自分の基盤に取り込む。
【潜伏期(7~12歳)】
男根期のような性への興味が潜伏する時期。家族以外の人とも交流の中で、エス(動物的本能)と超自我(しつけ・ルール)を「自我」でバランスを取っていく時期。
→もちろん口唇期・男根期の性格の延長線上にある。今までの家族内だけでの関係が、どこまで通用するのか他人でも推し量って安定を取ろうとする。こちらは人格の基盤になりやすい。
【性器期(12歳~)】
性器期は他人を愛するためにセックス生殖ができる時期。
→男根期レベルの幼い段階にあるか、他人を愛して性器期(生殖)レベルの大人の段階か見分けられる
男根期と性器期は日本語では似ているが、英語ではphallicとgenitalで意味が違う。
ここでの「性器」は「生殖」としての要素。
男根はいじって気持ちいいとか、おしっこ飛ばし合いとか、他人より性器が大きい等々のシンボル的な要素としてフロイトは使い分けている。
例えば、「セックスで名女優とヤッた」とか「何十人斬り、何百人斬り」といって自分がいかにモテるか自慢していればフロイト的には男根的な状態で性器期レベルまでいってない。千人斬りといっても精神的には子どもだということ。
※「性器期」は「対象愛」か?
相手を「愛するがゆえのセックス」ではなく、自分が楽しむためや「相手を物扱いしてするセックス」なら対象愛レベルまでいってないし、性器期にもいってないとフロイトは言った。
ただ対象愛と性器期とは部分的には重なる。自己愛と自体愛の区別がどの辺にあるかは微妙。
あくまで初期の、古典心理学の考え方なので、思い当たるフシがあったとしても「その可能性もあるかもね」くらいに考えておいてください。
「必ずしもそうなるとは限らないんじゃないの?」と思えた人は、その気持ちは正しいです。
当時のフロイトの何人もの弟子たちも同じ気持ちでした。
フロイトの弟子になれる要素があると思います。
おすすめ本
テーマ : うつ病(鬱病)、メンタルヘルス
ジャンル : 心と身体
エス(動物的本能)の中にあるもの

このブログを始めた2007年頃に、下記の動画を見て、
EGO
http://nicoviewer.net/sm832351
↓このような記事を書きました。
EGO(アニメーションから見る心の3構造と、生と死の葛藤)
http://aikansyheiwa.blog21.fc2.com/blog-entry-24.html
(転載はじめ)
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「1:超自我」はルール、道徳観、倫理感、自己の規制、防衛機制など、簡単に言うと
「=親や周囲などの環境から教えられたしつけ」を指す。
「3:エス」は感情、欲求、衝動など、簡単に言うと
「=動物的本能」を指す。
このように超自我とエスは両極端にある。
この2つを真ん中で仲介して管理しているのが「2:自我(エゴ)」である。
言わば、超自我とエスを中間で管理するコントロールセンターである。
(ちなみに利己主義であるエゴイズムや、自己愛性やジャイアニズムとはここでは意味が違う)
そして「3:エス」である動物的本能の中では
エロスとタナトスの2つがある。
エロスは種族繁栄などの「生への本能」で、タナトスは自殺願望など破滅的な「死への本能」である。
エロスが生きたい愛したい、タナトスは死にたいと叫んでいる。
エロスのこのエネルギーを「リビドー」と呼び、タナトスのこのエネルギーを「アグレッション(攻撃性)」と呼ぶ。
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(転載終わり)
上述したように、あくまで概念的な話ですが、エスという動物的本能(食欲・性欲・睡眠欲など)の中の根源的なエネルギーには「エロス(生)」と「タナトス(死)」があると古典心理学では考えています。
「動物的本能」とは、突き詰めれば「生きるか死ぬか」ということで、それが動力源となって、リビドーやアグレッションというエネルギーで、食欲や性欲や睡眠欲など、避けられない欲求が出ていると考えます。
あくまで概念的な話ですが、そう言われてきました。
おすすめ本
テーマ : うつ病(鬱病)、メンタルヘルス
ジャンル : 心と身体
「自我」と「自己」の違い アイデンティティとパーソナリティ

「自我」と「自己」と言う言葉をよく聞くことがあると思います。
これらは正確には別の言葉です。
端的に言えば、自分が考える「自分」が「自我」。
自分と他人を通しての「自分」が「自己」です。

心理学の派閥にも自我心理学派と自己心理学派があります。
自我心理学派の歴史は古く、自己心理学派は新しいです。
(転載はじめ)
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フロイトは他人の存在は無重視して、自我が勝手にしていることにした。
自我は自己を動かして他者とかかわるため、直接他者にかかわることはない。
自己(セルフ)は自分自身で感じられるもの。直接他者と関わる。
他者視点での私の体験を自己と言う。
自分は悲しんでいる、など感じられる。
よって相手と共感することで他人の自己が観察できる。
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(転載終わり)
「痛快心理学」和田秀樹より
自我を語る時は、よく「アイデンティティ(自我同一性)」という言葉が使われます。
アイデンティティは「自分視点の自分定義集」です。
人は14歳頃から40歳頃までの「青年期」の間に「自分は何者であり、何をなすべきか」を考えながら、イメージの自分と同一にしていきます。
もちろん誰しもがうまく同一にして形成していくわけではありませんが、何度もの危機的な体験の中で形成していくと仮定されています。
自己を語る時は「パーソナリティ(人格)」という言葉が使われます。
パーソナリティは「他人から見た自分らしさ」です。
例えば、自分は女だけど「男っぽい」と、周囲(他人)から言われたとします。
自分の中(自我)では「自分は女だ」と思っていても、周囲の目を通す(自己)だと「男っぽい」のです。
たとえ「男っぽい」と言われて、それを自覚しつつも「私は周囲から男っぽいと言われる女だ」と「自我」を正確にコントロールするのが「自己」です。
もし女なのに「私は男だ」と本気で「自我」で思い込んでいるとしたら、性格が分裂している精神病です。
あくまで他人との交流からの自分視点を重視するのがパーソナリティです。
※「自我同一性」という言葉は、古典的で説明に限界(他人の存在を無視しては心理で説明できないことが多いため)があるとされ、「自己同一性」と最近になって呼ばれるようになりました。どちらも同じ意味ですが、ここでは自我と自己の違いを説明すべく、古典的な言い方を使用しました。
参考にどうぞ
テーマ : うつ病(鬱病)、メンタルヘルス
ジャンル : 心と身体
「動物の本能」と「理性」の綱引きでバランスが取れないと精神病になる

心理学と精神分析の基本
http://aikansyheiwa.blog21.fc2.com/blog-entry-5.html
昔、このような記事を書きました。
「エスと超自我は常に綱引きしている」の図↓

(転載始め)
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フロイトは人の心を3要素に分けました。
◎エス[Es]・・動物的本能(欲求や感情)
◎超自我[スーパーエゴ]・・親や周囲から教えられた躾(しつけ)
◎自我[エゴ]・・上記の2つをコントロールする機能
の3つです。
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(転載終わり)
「痛快心理学」和田秀樹 より
エス[Es]とは動物的な本能。
動物と同じように食欲・性欲・睡眠欲などの3大欲求が丸出しの状態です。
とても非合理的で、思うがままに暴走してるイメージです。
その暴走を抑えるために超自我(親や周囲から教えられたしつけ・ルール)があります。超自我は理性です。
このうちエス[Es]を抑圧していると、心理的に不健康になります。
つまりうつ病などの精神病的な傾向です。
煮えたぎった鍋(なべ)にフタをするようなものです。
上記の綱引きの図で言うと、エスと超自我がお互いに自分が勝とうと、綱を引っ張りすぎて、真ん中の自我が引き千切れてしまうような状態です。
この一番軽度の症状を「神経症」と言います。
現在は「不安障害」と呼ばれ、軽度の「パニック障害」や「強迫性障害」などがここに含まれます。
かつては不安神経症や強迫神経症と呼ばれていました。今でも「神経症」と総称しても通じます。
「神経症」とは精神分析において人の心の病気のレベルを大きく三段階に分けた場合の初期の状態のことです。
(転載はじめ)
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Ⅰ【神経症レベル】
↓
Ⅱ【人格障害レベル】
↓
Ⅲ【精神病レベル】
______________________________________________________________________________________
(転載終わり)
「痛快心理学」和田秀樹 より
上から下に向かって深刻になっていくと考えてもらえれば良いです。
参考にどうぞ
テーマ : うつ病(鬱病)、メンタルヘルス
ジャンル : 心と身体
これから坦々と毎日書いていきます。

『君は毎日、何か文章を書きなさい。そしてあなたの考えを伝えていきなさい。』と精神科医のゼミの教授に言われたのが大学1年生の2007年。
それから毎日、SNSや掲示板等や質問掲示板で、どこかで何かは書いてきました。
ここ最近『なるべく分かりやすく、最新の心理学を伝えて欲しい。』と指導教官の教授から言付けを受け、誠に恐縮ながらも今度はブログを使って発信していくことにしました。
また今までお世話になった方へのせめてもの御礼や、このブログのファンの方からも、是非書いて欲しいと要望を受け、できる限りお力になれたらと思い、手筆する次第です。
どうしても僕の書くことは難しくなりがちなので、なるべく分かりやすく書いていこうと思います。
僕のことを知ってる人や、コアな読者な人は特に最初の方は退屈で物足りなさやツッコミどころ満載さを感じるかもしれませんが、坦々と書いていきます。
最初はフロイトやユングの古典心理学→最新の統計心理学→最新の認知心理学へと話を展開していきます。
これは日本人に知られている心理学の大半が古典時代(70年以上前)で止まっており、逆に統計心理学者や認知心理学者は計算ばかりで古典心理学を軽視している(知らない)と言う、ギャップを埋めるために両方書きます。
基本的なことを飛ばして、いきなりコアなことを書いても意味不明だと思うので、回が進むごとに面白くなると思ってください。
テーマ : うつ病(鬱病)、メンタルヘルス
ジャンル : 心と身体
